ローヤルゼリーのパイオニア企業である
ジャパンローヤルゼリー。

創業者の山口喜久二氏が、ローヤルゼリー
との奇跡的な出会いを果たし、

ミツバチ科学の研究も続け、今日まで実に
半世紀という誇るべき歴史があります。

そして「山口喜久二式自然養蜂」という
養蜂技術を確立し、

高品質で活性の高いローヤルゼリー製品を
世に送り出し続けています。


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女性の社会進出を唱え、女性企業家を多数育てる


山口氏は、男尊女卑の日本で、女性のための
本格的な社会進出を唱え、

わずかな資金で開始でき、年商数億円の事業
を行うことができる仕組みを編み出し、

多くの女性企業家を誕生させました。


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百年の計を見定め、アルツハイマー型認知症
の予防・治療が可能な物質の解明や、

へリコバクター・ピロリの除菌や生育を抑制
できる青ジソ抽出エキス末を使った

機能性食品素材の開発を進めている山口氏に、
これまでの歩みを語ってもらいました。


父の急病、危篤。余命3カ月を宣告される


「偶然は必然である」という出来事が
きっかけだった。

1966年4月のある朝、父のうめき声で
目が覚めた。

血を吐き、息も絶え絶えの父を見た。

すぐに救急車を呼び、都立浅草寺病院へ
搬送された。

食道静脈癖の破裂で出血し、集中治療室で
どうにか止血したものの、

そのまま昏睡状態が続いた。

集中治療室で2週間。医師から余命3カ月
以内との宣告を受けた。

父の危篤、果てようとする命。できたことは
神仏に祈るのみで、多くの友人に最後の別れ
に来てもらうよう母に提案した。


最後の頼みの綱は「ローヤルゼリー」


ある日、見舞客の父の友人の1人から廊下に
呼び出され、

「息子さん!あんた、ローヤルゼリーって
知っているかい」と質問を受けた。

1954年、ローマ法王(ピオ12世)が
危篤に陥り、昏睡状態が続き、

主治医のガレアジー・リシー博士が最後の
頼みの綱として、ローヤルゼリーの注射薬を
皮下投与した。

すると翌日、法王は昏睡から目を覚まし、
1カ月後に はベッドから降りて執務を再開
するほど回復したという雑誌記事を紹介され、

そこで私はローヤルゼリーなるものの存在を
初めて知った。

そこで私は、ローヤルゼリーをすぐに手に
入れたいと思い、浅草のハチミツ屋から
養蜂家のリストをもらい、

その足で近くの電話ボックスに駆け込み、
片っ端から電話をかけた。

8軒目でようやく「30g入りが2本だけある」
との返事をもらった。


奇跡の回復!ローヤルゼリーの普及を決意


私はすぐに東京から岐阜県の損斐川の周辺で
一族とともに養蜂業を営む五十川養蜂園を
訪れ、ローヤルゼリーを手に入れた。

往復12時間の列車移動を終え、病院に
戻ったのが午後10時半頃。

幸いなことに婦長が当直だった。

父の口には管が差し込まれていたため、
浣腸器の先端にカテーテルをつなげ、
直腸にローヤルゼリーを注入したところ、

翌日昼、父は昏睡状態から目を覚ました。

その後、驚異的な回復を見せ、1カ月後には
院内を散歩するまでに回復した。

そして余命3カ月と宣告されたが、その月末、
父はついに元気な姿で退院したのである。

退院から半年が過ぎると、持ち前の職人魂が
よみがえり、以前と同じように活動し始めた。

この奇跡を見て、1966年秋、
ローヤルゼリーの普及を始めようと決意し、

「王乳愛好会」という会員販売を始める
ことにした。言わば無一文からの行商だった。


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